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キリシタン大名 高山右近

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キリシタン大名 高山右近

 大阪の高槻城の城主であった。右近の性格上、キリスト教の教義にあったのだろうと思う。すぐに洗礼を受けた。信長の傘下だったが、上司にあたる荒木村重の謀反により板挟みになり、城を捨てて浪人になると信長に言った。あの信長はこれを許し所領も安堵された。今迄は信長は自分の意に沿わぬ者はすぐに首を切る。それから本能寺の変があり、今度は秀吉に仕えた。しかし、秀吉は伴天連追放令を出し領地は没収された。その後、知人を頼り小豆島や前田利家の加賀にも行った。金沢には高山右近の銅像とキリスト教会がある。その後フィリピンのマニラに配流され没した。非常に高潔な方で、高槻の領民の7割がキリスト教の信者になった。又、マニラでも大歓迎を受けた。この方の人柄だろう。私とは全然違うと感心する。