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竹取物語

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竹取物語

この物語の舞台は奈良の広陵町というところである。讃岐神社がそうであるという。作者は不明であるが字が書けることから平安の上流階級の貴族であるとしかわからない。ただ、かぐや姫の名付親が三室戸齊部秋田という方であるから、多分この人が作者ではないかと思われる。この齋部は、忌部氏で藤原氏(中臣氏)と権力争いをして忌部氏がこの争いに負けてどんどん衰退していった。天照大神の右腕と言われていた忌部であるが、藤原が勢力を伸ばして実権を握っていった。この物語で明らかに藤原道長と思われる人が出てかぐや姫を娶ろうとするが、失敗して嫌われている。藤原は仏教政策を推し進め成功している。一方、忌部は神道であるがこの物語の最後にかぐや姫を月に連れて行くのがお釈迦様であることから仏教政策の恨みのようなものが感じられる。このことからやはり作者は齋部(忌部)氏のだれかであるのは間違いない。と言うのも竹を取りに行きその翁が讃岐の造という。香川県の讃岐から出てきた一族で讃岐忌部の者である。この物語、最後にかぐや姫は月に帰るのだが帝は3年にわたり恋文を交わしている。その時に天人が天の羽衣を着せようとするのを制して育ててくれた翁に礼を言う。又、帝には手紙と歌を書いた物を渡し一緒に不死の薬を渡した。ただもう二度と会えないので不死の薬を持っていても意味がないと言い、一番天に近い山に登りそこで焼くように手下の者に命じた。それでその山をふじの山と名づけたという。この山こそが駿河国にある日本で一番高い山、富士山である。