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邪馬台国は何処にパート2
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邪馬台国は何処にパート2
邪馬台国は何処にパート2
この邪馬台国という文字は中国の魏志倭人伝では邪馬臺国と書きその読み方が卑弥呼の時代から「ヤマトコク」と呼ばれており、我が国では「倭(やまと)」と呼ばれている。日本書記には第十代崇神天皇のくだりには天照大神と倭大国魂との記述があり、この日本大国魂神を祀る神社が徳島の美馬市にあり「倭大国魂神社」である。これは全国で唯一阿波で祀られているこの神社の存在が、阿波が「倭」であることを示す証拠ではないかという。これを裏付けるようににこの神社すぐ南側に崇神天皇の宮、師木(しき)の水垣宮跡が「天皇」という地名である。又魂志倭人伝の記述から3世紀の卑弥呼の時代、日本列島の総人口は約60万人といわれこの「邪馬臺国」は7万余戸と書いてある。これは戸ではなく人の間違いではないか?これを7万人と考えれば矢野遺跡を中心とするところか当てはめる。」次に「其の山に丹あり」との記述ありこれは水銀を採取して辰砂、水銀朱を取っていた場所である。早稲田大学の考古教室が調べて全国で360数カ所の調査結果で、その当時はただ1カ所、徳島県阿南市水井(すいい)町の「若杉遺跡」だけである。最後に「その死には棺(かん)あれど槨なし」これは邪馬台国の葬法が「棺(ひつぎ)」に土を被せただけの盛土墳であり棺を保護する石囲いなどの「槨」がないという事である。これに当てはまるのが阿波武石棺(青石を組み合わせた箱武石棺)だけである。これだけの証拠があると否定ができないのではないか?
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