笑顔でつくる輝く未来

穴山梅雪

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穴山梅雪

 この人物、元は武田信玄の重臣で嫁は信玄の娘、お母さんは信玄の姉で殆ど武田家である。しかし、息子の勝頼(四男)の代になり武田家を裏切って織田方についている。勝頼とは仲が悪かった。家康の伊賀越えの時に、この診療所の近くで一揆勢に殺されている。家康と同じ様に安土で信長から接待を受け、京都、堺を見物して情報を受け取ったのが飯盛山現在の四条畷でほとんど奈良に近い。家康とは一日遅れで伊賀越えをしようとしたが京都の田辺(草内)で木津川を渡る前に殺された。すぐ近くにお墓がある。こんな近くにあるのだと驚いた。お墓の前にはちらほらと知らない方が来て立て札を読んでいる。大河ドラマの影響は大きい。手を合わせてきた。