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浄閑寺 パートⅠ

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浄閑寺 パートⅠ

 江戸時代幕府公認の遊郭吉原は3000~4000人、多い時は数千人の女郎がいた。今で言う風俗嬢である。国が公認するのは世界でも今はオランダだけではないか?ほとんど身売りされてきた者で好きで来た者はほとんど居ない?女郎にもよく言われている格差があり、最も高い位は花魁(おいらん)と呼ぶ。器量と芸事を身につけた優れた女人であるが数人しか居なかった。高値の花である。この花魁と遊べるのは余程の大金持ちでないと無理である。それはさておき、この世界では生きて出るには身請けをしてもらうより方法は無いようである。平均寿命が22歳であるからほとんどが病気で亡くなるケースが多い。結核や天然痘。特に性病、梅毒とか淋病、今では多種のエイズをはじめ多くあるが抗生剤とか無い時代にはほとんど死んでいった。中には生きたまま埋められたケースもある。又、この時代には江戸で大火があり多くの女郎が焼け死んでいる。遺体はこの浄閑寺という寺に投げ込まれた。