笑顔でつくる輝く未来

蜂須賀正勝(小六)

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蜂須賀正勝(小六)

秀吉の忠誠心の厚い部下であった。出は、現在の愛知県あま市である。戦国大名の有名な方、ほとんど美濃か三河の出身である。東海地方に固まっている。元々は川並衆、野武士集団の頭領であったが、夜討強盗というレッテル貼られている。実際はどうかわからない。腕っぷしの強い武士というイメージであるが、秀吉や秀長はいわゆる交渉役に使っていた。頭の回転が速く、臨機応変に対応できる人だったのは間違いない。戦においてもその功績が認められ播磨龍野城5万3000石が与えられた。その後、四国を攻めで目付役として活躍し阿波17万3千石を与えられたが、固辞したのでその息子の家政に与えた。秀吉のずっとそばにいた様で、余程の忠誠心があったのだと思う。蜂須賀家は江戸から現在に至るまで続いているが、正子さんが子供や養子は居ないようであるので直系に近い方は絶える可能性が高い。が、名前は日本の歴史が続く限り残る。変わった苗字だと思うが、やはり蜂塚からきているようで奈良から平安時代から弘法大師さんがこのあま市にきて蜂や蟻に悩まされているのを見て封じ、その塚を作りそこから名前が来たようである。やはり、地名から姓を取っている。